[Essay] 話す力

齋藤孝氏の「人を10分ひきつける話す力」という本を読み終えた。読んでいて身につまされる内容が多かった。たとえば、話慣れしているのと話がうまいのは別だ、とか、話慣れすると話を止められなくなるなど。わが身を振り返って、たしかにその通りだなぁと反省することしきりだ。

私は大学の教員なので、たくさんの学生の前で話すことが仕事(の一部)だ。だから、話すことに慣れてはいる。しかし齋藤氏の基準に照らすと、うまいとは言えないだろう。たくさんのネタを蓄えておいて、学生の反応を見ながら話す内容をずらしていくような芸当は、今の私にはできていない。

学生は、授業だから仕方なく聞いてくれはする。しかしあまり関心を持って聞いてくれていないなと感じることも、よくある。これまでは、そういうときに別なネタを出すなどの工夫をしていなかったように思う。授業だからある程度は仕方ないと割りきって、教えたい内容を最後まで話し終えていたが、これでは学生の注意をひきつけることができないな。

本学学長の三浦宏文先生は、話がとてもうまい。8月初めにあった混相流学会年会でもご講演いただいたが、非常に評判がよかった。「ビデオにしたら売れますよ」とおっしゃる先生もいた。これは間接的に聞いたことだが、三浦先生は授業のときにも学生の反応を確かめながら話をし、学生が話を聞いていないと、これは自分の話し方が悪いんだろうと反省して、話題を変えるのだそうだ。

私は数学演習の授業で、積分が設計に用いられているシーンを説明したことがある。はじめは飛行機の翼設計の話をしたのだが、学生があまり聞いてくれない。途中で「だれも聞いてないようだねぇ。じゃあ話題を変えようか。」と皮肉を言って、話題をディーゼルエンジンの排気ガスフィルターの解析に切り替えた。教員の権力で注意を強引にこちらに向けさせたという面はあるが、それでも後半の学生の反応は悪くなかったと感じていた。「聞いてもらえるように、話題を変えよう」という姿勢を見せるだけでも、学生の反応は変わるのかもしれない。

しかしもちろんそれだけでは足りない。齋藤氏は著書の中で、話で人をひきつけるためのポイントを4つあげている。話に「意味の含有率」が高いこと、その場の空気を関知して聞き手の反応をよく読んで話すこと、ネタの豊富さ、そして身体性つまり声のトーンや身ぶり手振り、の4つだ。

自分の話し方を振り返り、甘く点数をつけると身体性はまあまあだろうか。通る声で話そうという努力はいつもしているし、体を動かして説明する意識も持っている。意味の含有率は、何せ授業だからはじめからある程度は保証されているが、まだまだ改善の余地はある。いちばん大切なところ─齋藤氏の表現では「これだけは伝えたいところ=赤」の部分─を絞り込む努力が足りない。空気を読む力は、まったく無いわけではないが、これまでちゃんと使っていなかったというのが正直なところだ。授業なんだから、教員の話がつまらなくともちゃんと聞けよと考えていたところがある。これではよい教師にはなれない。

ネタの仕込みは、まったく不十分だ。ネタを仕込もうという努力をしてきていない。たまたま授業に役立ちそうな話題に出会ったときに、それを覚えておくことぐらいで、自分から積極的にネタを探そうとか、それを蓄えておこうとはしていなかった。これから蓄えていかなければならないだろう。

齋藤氏の著作のよいところは、トレーニングを信じていることだ。トレーニングを積めば、だれでも人をひきつけながら話すことができるようになると主張している。私の場合、トレーニングの場には事欠かない。明日から13週間、週に7コマ、トレーニングの機会がある。学生の意識をひきつけるよい授業ができるように、努力してみよう。

(2005-09-11)

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工学院大学機械工学科流体研

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金野 祥久  konno@researchers.jp

Last modified: Sun Oct 9 19:59:42 JST 2005