Written on Oct. 21, 1997

安定性について思うこと

An essay on stability


鉛筆を逆さまに立てようとしても、すぐに倒れる。 鉛筆の重心が接触点の真上になるようにして放せば 立っているはずである。 しかし、ほんのわずかの外乱に対して、重心がずれ、 そのずれが増幅する方向にモーメントがはたらく仕組みになっている。 このような状況を「不安定」であるという。

さて、棒を横長に置いて(鉛筆でもいいが)両端を 指で支えながら、その指の間隔を徐々に狭めていくと、 両方の指は、若干の差はあっても、両方とも 重心に近づく。 ところが、逆に重心付近にあった2本の指を 離していくときには、一方の指はまったく離れず、 他方のみがどんどん離れていく。 この現象は、摩擦の原理を考察すればすぐに理解できる現象である。 この場合、指を近づけるときには「安定」であり、 離すときには「不安定」である、という言い方ができるのでは ないだろうか。 指を離していくときには、どちらか一方の指が滑り出すと、 他方はまったく滑らなくなってしまう。 だから、正確に言うと「双安定」ということになろうか。 どちらの指が先に滑り出すかは、 微妙な「初期条件」によって決まるはずである。

語学に関しても、これに似た不安定性がある。 二人の友達どうして外国旅行をした場合を考えよう。 宿の予約をするにしても、電車の切符を買うにしても、 少しでも言葉ができる方が担当する。そうすると、 実際に使うチャンスが多くなり、どんどん上達するのである。 最初は少しの差であっても、 それは常に差が広がる傾向にあると考えることができる。 先ほどの棒の例では、指を中心付近から離していく場合に 相当する。「双安定」の状況である。

会社で、同じ課に入った同期生がいて、 その内の一人に海外勤務のチャンスがめぐってきたときなども 同様であろう。

教育の目標として、さまざまな知識を万全に詰め込む、 ということよりは、 なにかひとつ、他人よりは秀でた点がある、という 自信を持った人間を育てること、 双安定や多安定のなかで、自分が伸びられる可能性を 持った人物に育てること、 が大切なように思われる。

学生との会話をもとに書く 水野明哲

水野宛のメールはmizuno@fluid .mech.kogakuin.ac.jpまで

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